「カナシミ」を抑圧した代償 ―インサイドヘッド考察記事―
~インサイドヘッド考察記事 1本目~
私たちは生活の中で、
日常的に何かしらの感情を抑え込んでいる。
大人になればなるほど、無意識のうちにその現象は起こる。
まさに脊髄反射的に。
理由は様々にあると思う。
・自分を良く見せるため
・大人ぶるため
・自分が余計に傷つかないため
・自分のいやなところから目をそらすため
数多くある感情の中でも特に「カナシミ」という感情は、
できるだけ避けたいし、
表に出したくないと考えると思う。
世間一般的にも、
「泣いてばかりいられない」
「前を向かなければならない」
「ポジティブに考えよう」
「弱い自分は見せられない」
などと言われたりする。
―そういった言葉で自分を励ましたり、鼓舞したりしながら、
心の奥底に押し込めている感情があるのではないだろうか。
ピクサー映画
『インサイドヘッド』は、
このような感情抑制の危険性について、
深い気づきを与えてくれる。
この記事は、
11歳の少女ライリーの心の中で繰り広げられる物語を通じて、感情を抑え込むことの代償について考察した記事だ。
この記事を書いたきっかけ
~インサイドヘッドとの出会い~
この記事を執筆しているのは2024年11月だが、最近、インサイドヘッドという映画を見るに至った。インサイドヘッド2が流行っているということもあったし、自分について知ることができるのではないかと思ったからだ。
視聴中、涙が止まらない
映画を見ていると、涙が止まらなかった。表面的な趣としては完全に子供向けの映画だ。それなのにどうして涙が出てくるのだろう。
そう考えながら映画を見ていると、深く見れば見るほどこの「インサイドヘッド」という作品は心理的な描写、脳神経や思考などの描写が上手くできていることに気づいた。
大事な教訓を教えてくれた
様々な描写が、様々なメッセージ性を持っているけれど、この作品が伝えてくれるメッセージは私にとってとても大事であるとおもったので、記事を書いてみることにした。
インサイドヘッドという作品が伝えようとしているメッセージ性を正しく理解すれば、多くの人の助けになると思っている。これらの教訓を理解すると、心が幾分も楽になることだろうと私は思っている。
あくまで私の主観に過ぎないけれど、一考察記事として、「そういう見方もあるんだな~」程度に読んでみてもらいたい。
インサイドヘッドの概要
考察に入る前に簡単にインサイドヘッドの概要を説明しておく。
また、ほかにも色々と作品内で登場する用語が出てくるが、作品を既に見ている前提で書いていくので悪しからず。ネタバレも多少含みます。
インサイドヘッドのあらすじ
インサイドヘッドのあらすじは以下のような感じ。Googleから引用。
普段は少女の頭の中の司令室で、彼女の幸せのために尽くすヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、カナシミという5人の感情たち。ところが引っ越しで環境が変わり、少女の気持ちが不安定になってしまう。彼女の頭の外へ吸い出されてしまったヨロコビとカナシミは、司令室に戻ろうと必死に少女の後を追いかける。
主要キャラクター
主要な登場人物になるのが、主人公のライリー(11歳の少女)と、そのパパとママ。
そして、ライリーの頭の中で奮闘する5つの擬人化された感情たちだ。
登場する感情たちは以下の表にまとめてみた。
感情 | キャラデザ | 役割 |
ヨロコビ | 明るい黄色、青色の髪 エネルギッシュ | 物語の主導的役割 |
カナシミ | 青色、丸みを帯びた形態 | 成長に必要な感情 |
イカリ | 赤色、四角い形態 | 境界設定と自己主張 |
ビビリ | 紫色、細長い形態 | 安全確保と危険回避 |
ムカムカ | 緑色、スタイリッシュな形態 | 社会的判断と価値観の形成 |
感情抑制のきっかけ |善意の言葉が引き起こす連鎖
いよいよ本記事の本題、考察に入っていく。
物語の中で、ライリーが悲しみを抑え込もうと決心する重要な場面がある。
ここが大きな問題シーンの一つと私は考えてる。
ライリーがお母さんから「あなたが明るくいてくれて助かっている」という言葉をかけられた時だ。一見すると励ましの言葉に聞こえるこの一言が、皮肉にもライリーの感情抑制を強化することになったと考察できる。
家族のために「いい子」でいなければならない。そんな思いが、ライリーの心の中で「ヨロコビ」という感情に特別な権限を与えることになった。
「ヨロコビ」は、自分がやらなければと、固く決心してそれまで以上に気丈にふるまうようになった。
脳内の司令塔で、他の感情たちが操作卓を「ヨロコビ」に譲り渡す場面は象徴的だと思う。注目すべきは、その時の他の感情たちの表情。彼らは少し悲しげな顔をしていた。
これは、バランスの取れた感情表現が失われていく予兆だったのだ。
心理学から見る感情抑制のメカニズム
他の感情を抑え込んでしまう、ということは心理的によくある話だ。
心理学では、これを「防衛機制」の一つである「抑圧」と呼ぶ。
抑圧とは、つらい経験や受け入れがたい感情を無意識的に押し込めてしまう心の仕組みのことだ。私たちの心は、自分を守るために様々な防衛機制を働かせる。
防衛機制については、また別の記事でまとめてみたいと思う。
感情抑制がもたらす三段階の影響
感情抑制は、以下の三段階で私たちの心と体に影響を及ぼしていく:
- 意識レベルでの変化
- 感情を認識することが困難になる
- 「何を感じているかわからない」状態
- 感情を表現する語彙が減少
- 行動レベルでの変化
- 感情表現が不自然になる
- 他者との情緒的な交流が減少
- 回避行動が増加
- 身体レベルでの変化
- 心身症状が出現
- 不眠や食欲不振
- 原因不明の体調不良
感情抑制がもたらす影響の表現
インサイドヘッド内では、感情抑制の影響を
・ヨロコビとカナシミの司令塔からの排除
・「パーソナリティーアイランド(島)」の崩壊
という形で表現している。
この二つに着目して見ていきたい。
ヨロコビとカナシミの司令塔からの排除
ヨロコビが無理やりカナシミを抑圧しようとした結果、2人とも司令塔から追い出されてしまう羽目になった。
この描写をただ普通に見ると、事故で、偶発的にヨロコビとカナシミが掃除機に吸い込まれて出て行ったように見える。しかしこの描写を通して、感情を抑圧した代償を表現していたのではないかなと、私は考察する。
つまり、ヨロコビがカナシミを制御して無理やりに抑圧したことによって、結果的にカナシミという感情だけでなく、ヨロコビという感情までも失われることになった。
そういうことが人間にも起こっているんだ、と風刺しているんじゃないかなと思う。
大人になって行くにつれて、純粋無垢な喜びの感情って薄れていく傾向にある。
子供みたいに大はしゃぎで喜ぶ、ということが生活の中でどれほどあるだろうか。
他の感情を抑圧することで、純粋な、忘れてはいけない感情までも忘れてしまうということが自分にも起こっていたのではないかと、このシーンを見ながら思った。
パーソナリティーアイランド(人格の島)の崩壊
特に印象的なのは、「ユーモアの島」が崩れ落ちていく場面だ。
感情抑圧によって、「ヨロコビ」が不在であるため、ユーモアの島が正常に機能せず、崩れていった。
本来ライリーにとって、ユーモアは人格を形成する非常に大事な要素だったのに。
感情を抑え込むということをしてしまったがために、パーソナリティーを失うというとても残念な方向に物語が進んでいく。
その後も、様々なパーソナリティーが崩れて行った。
このように私たちも無意識的に、自分の大事なパーソナリティー(個性とも呼べると思うが)を失ってしまっていないだろうか?
感情を抑え込むと、なるほど、こういうことが起こるんだなと納得する描写だった。
もしかしたら私(筆者)自身も、自分の大切なパーソナリティーを犠牲にして、生きてきたことがあったのかもしれないな。
もし失ってしまったパーソナリティー、個性があるなら、取り戻したいな、と強く思ったしそれを思ったときに涙が止まらなかったんだ。
なぜ悲しみは必要なのか?
物語の重要な発見の一つは、私たちの大切な記憶(コアメモリー)が、実は単一の感情だけでなく、複数の感情が混ざり合って形成されているという事実だ。
※コアメモリーはパーソナリティーアイランドを形成する上で重要な核を担う
「ヨロコビ」は当初、全てのコアメモリーは喜びだけで作られていると信じていた。
だから作中、最後の最後までヨロコビでできたコアメモリーを大事に大事に守っていたし、「カナシミ」には触れさせないようにしていた。
しかし、実際にはそれぞれの記憶に「カナシミ」の要素が含まれており、
それこそが記憶を豊かで意味のあるものにしているのだ、と気づいたのだった。
- 感情を解放する触媒としての機能
- 他者との共感を深める感情としての価値
- 心の成長に必要な要素としての意義
回復への道筋 ―ネガティブ感情を受け入れる勇気―
カナシミを受け入れたことによって、結果としてもっと豊かなパーソナリティーアイランドが形成され、もっと豊かで素敵な人に成長したライリーだった。
作中では、最後に両親の愛情で心の傷が癒されて、ライリーが回復する。
物語はハッピーエンド、めでたしめでたしで終わり。
良かったね。
・・・
いや、待てよ・・・。
ライリーのように回復できなかったら?
ライリーは親の愛で完全復活を遂げて、感情も戻ることができたし、島も完全修復どころかもっと開発されて次元が上がった。
だけど、ライリーのように回復できなかった人たちが、世の中にはあまりにもたくさんいるんじゃないか・・・。
私もきっとその一人だ。
インサイドヘッドは、このことに気づかせるきっかけを与えてくれた映画だった。
そしてもっと大事なのは、失った感情やパーソナリティーをどう取り戻していくか、だろう。もっと研究していかなければならない。
感情抑制から回復する方法
感情抑制からの回復には、以下の三つのフェーズがあると思う:
- 気づきのフェーズ
- 抑圧していた感情の存在に気づく
- 感情を抑える必要があった理由を理解する
- 自分の感情パターンを観察する
- 受容のフェーズ
- 抑圧していた感情を少しずつ認める
- 感情を持つことを自然なこととして受け入れる
- 自己批判から自己理解への転換を図る
- 表現のフェーズ
- 安全な環境で感情を表現する
- 新しい感情表現の方法を学ぶ
- 他者との健全な感情の共有を試みる
まず、インサイドヘッドを通して、自分が感情を抑圧してたんだ、ってことに気づけたことが大きかった。
気づくことができたから、
もっとネガティブな感情も受け入れようと思えるし、考え方を変えることができる。
考え方を少しずつ変えることができたら、基本的なマインドセットも少しずつ変わっていくだろう。そうしたら少しずつ、人格的な面にも変化が訪れると信じたい。
どうすれば自分の本当の個性、人格、感情を取り戻すことができるのかは続けて研究していきたいと思っている。
まとめ:本当の自分を見つける
感情抑制の代償を知ることは、私たちが本当の自分を取り戻す第一歩となる。
全ての感情には意味があり、役割がある。
たとえネガティブだと思える感情でも、それを受け入れ、理解することで、私たちは本当の意味で成長することができるのだと思う。
『インサイドヘッド』が教えてくれたように、私たちの感情は全て、かけがえのない存在である。悲しみも、喜びも、怒りも、恐れも、嫌悪も―
それぞれが人生に必要な色彩を与えてくれている。
本当の自分を生きるために、まずは全ての感情を大切な仲間として受け入れることから始めてみてはどうだろう。
自分の感情に正直になることは、決してだめなことなんかじゃない。
それはむしろ、本当の自分を知ってもっと強くなるための第一歩なんだ。